今回お話するのは
イングランドの新たな王
コンスタンティン
です。
コンスタンティンとは?
コンスタンティンはアーサー王伝説における円卓の騎士の一人。
アーサー王の甥っ子に当たり、アリーという騎士の治療にも登場している。
~コンスタンティンのプロフィール~
- 欧文表記: Constantine
- 別表記1: ガーフレット
- 父親: コーンウォールの̚カド―
- 初登場: キャクストン版第5巻3章
この他にも
- アーサー王の即位と欧州統一
- アーサー王の死
などに登場しています。
アーサー王の跡継ぎ
コンスタンティンの物語における大事な役割は「アーサー王の跡継ぎ」である。
キャクストン版の「5巻3章」において、アーサー王がローマとの戦争に挑む際にこう宣言している。
もし私がこの遠征で命を落とすことがあれば、その時は最も血筋が近いコンスタンティン卿を私の正式な跡継ぎとして、わが王国の王座を譲る。
ですが、アーサー王にはコンスタンティンよりも血縁が最も近い子がいます。
- モードレッド
- ボァー
しかし、モードレッドは「アーサー王が呪いの子という理由で海に流す」ことで「継承権」はない。
ボァーはアーサー王の妻ではなかったリオノルスとの間に生まれた子供であり、「継承権」はない。
こういったアーサー王の個人的な諸事情により、正式に跡継ぎとして認められたのはコンスタンティンのみである。
内戦後のイングランドの王
ランスロットによる内戦、モードレッドによる反乱によって円卓の騎士が完全に崩壊してしまった後。
アーサー王は死去し、コンスタンティンは王の宣言通り「イングランドの王」となった。
だが、悲しいことに円卓の騎士たちは誰一人として彼の元に集合はしなかった。
元々、2回の内戦により円卓の騎士は殆どが死去。
生き残った数少ない騎士たちも自分の国に戻り、聖職者として余生を過ごす者もいた。
他の騎士たちもランスロットの遺言に従って、異教徒であるトルコ人と戦い、戦死している。
コンスタンティン: 文献によって変わる治世
コンスタンティンが王になった後の治世は文献によっても変わる。
12世紀の伝記的年代記「ブルータス」では、
死に瀕したアーサー王が、当時まだ子供であったコンスタンティンに自分の王国の全て授ける
といった記述がある。
しかし、同年代の「ブリタニア列王史」においてはまた違った治世となった。
~反乱と死去~
コンスタンティンが玉座に就き、王と成るや否や反乱が起きた。
反乱を起こしたのはモードレッドの二人の息子であり、玉座を狙って反乱。
コンスタンティンは反乱を阻止するために王国軍で鎮圧に向かった。
そして、見事王国軍が反乱軍を阻止。
モードレッドの息子の一人は教会で、もう一人は修道院の祭壇の側でコンスタンティンが自分の手で粛清。
だが、神聖な場所での殺害は王であっても許されなかったのか、モードレッドの反乱の4年後に神の審判によってコンスタンティンは死亡している。
まとめ: コンスタンティンはこんな円卓の騎士
今回は円卓の騎士の一人コンスタンティンについて紹介させていただきました。
なんというか、会社が完全に崩壊し優秀な社員も全て消えた後、社長に就任させられたみたいで悲しい・・・・。
という訳で今回のまとめ
- コンスタンティンは円卓の騎士の登場人物
- コーンウォールのガトーの息子(アーサー王の甥っ子)
- アーサー王の跡継ぎとして即位
- 円卓の騎士がいないイングランドの王
- モードレッドの息子に反乱を起こされる
- 小さき頃にアーサー王に王国を託される物語もある
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